collection I コレクション展
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シャガール・コレクション展 我が生涯
2022年04月05日[火] - 2022年06月12日[日]
*5月16日(月)~18日(水)、21日(土)~25日(水)、6月6日(月)は閉室
会場:
2階 第1展示室
観覧料:
一般370円(290円) 大学生260円(200円)、 高校生以下無料
*( )内は20名以上の団体料金。
*身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳及び被爆者健康手帳所持者とその介護者(1名)、高知市及び高知県長寿手帳所持者は無料。
*年間観覧券所持者は無料。
内容
「…私の町は死んでいる。ヴィテブスクのあの歩きまわった道。両親は二人とも死んだ。私はただ私のためになにか書いておこう…」(三輪福松・村上陽通訳 『シャガール わが回想』 )
1911年以来パリで活躍していたシャガールは、一旦帰国していたロシアで革命の嵐に翻弄されます。成り行きで政治に巻き込まれ、故郷ヴィテブスクの人民委員として新しい体制への奉仕をしようとしたシャガールでしたが、仲間同士の間の背信行為などで革命に幻滅し、結局パリへの帰還を目指すことになります。
その途上で立ち寄ったベルリンで、彼は画商パウル・カッシーラーの勧めにより銅版画を学びます。1922年、自伝の挿絵として制作された《我が生涯》は、テキストに使用されたロシア語があまりに特殊すぎてドイツ語への翻訳が困難であったため、結局、挿絵だけが翌年、20点組の版画集として出版されました。なお、「我が生涯」のフランス語版は、妻ベラの翻訳により1931年に刊行され、広く読まれるようになります。
マルク・シャガール プロフィール
1887年、シャガールはロシアの街、ヴィテブスク(現在のベラルーシ共和国)の貧しいユダヤ人の家庭に生まれました。1911年からパリに出て、ラ・リューシュ(ハチの巣)というアトリエで制作に励む一方、アポリネール、サンドラールら詩人たちとも交流しました。キュビスムやフォーヴィスムを中心とする最新の美術に影響を受けるものの、恋人や花束といったモティーフが浮遊する独自の表現を確立していきます。 1915年には、生涯シャガールが愛し、創造の源泉となった同じユダヤ人のベラと結婚します。翌年には娘イダが生まれ、画家としての名声も高まりますが、ナチによるユダヤ民族の迫害政策や、ロシア革命、二度の世界大戦などの苦難に見舞われ、ヨーロッパ各地を転々としたのちアメリカへ亡命、その地でベラを失くします。ベラの死後、しばらく筆を取れなくなっていましたが、イダをはじめとする周囲の支えにより制作を再開し、「色彩の魔術師」と呼ばれるような鮮やかな色彩表現を深めていきます。1950年から南仏のヴァンスに定住し、晩年にいたるまで旺盛な制作意欲を発揮しましたが、1985年に惜しまれつつ逝去しました。享年97歳でした。
2022年度シャガール・コレクション展テーマ
「シャガールの故郷―ヴィテブスクとパリ」
帝政ロシア、現在のベラルーシにある街ヴィテブスクに生まれたシャガールは、1911年にパリへ出ます。その後一度帰国しますが、1922年に再びパリへ出て以降、故郷へ戻ることはありませんでした。しかし、その姿は家族や家畜、小さな町の風景などの形で繰り返し作品のなかに描かれています。一方でセーヌ川やエッフェル塔、オペラ座などのパリを表すランドスケープもまたシャガールの作品に繰り返し登場します。帰ることのなかった故郷ヴィテブスクとシャガールが画家として大成した場所であり、戦後亡命先のアメリカから戻った国の首都パリ。ふたつの街のモティーフが描かれた版画集を紹介します。
マルク・シャガール《花嫁の花束》1934-46年
(C) ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo,2022, Chagall (R) C3851