collection コレクション展
内容
シャガールは「アレコ」(1942年)、「火の鳥」(1945年)、「魔笛」(1967年)など、大規模な舞台美術の仕事を行いました。1958年にパリ・オペラ座で上演されたバレエ「ダフニスとクロエ」の舞台美術と衣裳もシャガールが手がけています。
舞台美術の依頼を受ける前の52年、シャガールは《ダフニスとクロエ》の挿絵を依頼されます。エーゲ海に浮かぶレスボス島の豊かな自然を舞台に展開する、古代ギリシアの詩人ロンゴスによる恋愛物語。赤子のときに捨てられたダフニスとクロエはそれぞれ牧人に育てられ、美しく成長します。自分たちが高貴な生まれであるということに気づかないまま出会った2人は恋に落ち、さまざまな冒険や困難を経て最終的に結婚します。美しい自然のなかで妖精や牧神パンが登場する物語は理想郷として西洋で受け継がれ、美術、バレエ、音楽、映画にもインスピレーションを与えました。
マルク・シャガール プロフィール
1887年、シャガールはロシアの街、ヴィテブスク(現在のベラルーシ共和国)の貧しいユダヤ人の家庭に生まれました。1911年からパリに出て、ラ・リューシュ(ハチの巣)というアトリエで制作に励む一方、アポリネール、サンドラールら詩人たちとも交流しました。キュビスムやフォーヴィスムを中心とする最新の美術に影響を受けるものの、恋人や花束といったモティーフが浮遊する独自の表現を確立していきます。 1915年には、生涯シャガールが愛し、創造の源泉となった同じユダヤ人のベラと結婚します。翌年には娘イダが生まれ、画家としての名声も高まりますが、ナチによるユダヤ民族の迫害政策や、ロシア革命、二度の世界大戦などの苦難に見舞われ、ヨーロッパ各地を転々としたのちアメリカへ亡命、その地でベラを失くします。ベラの死後、しばらく筆を取れなくなっていましたが、イダをはじめとする周囲の支えにより制作を再開し、「色彩の魔術師」と呼ばれるような鮮やかな色彩表現を深めていきます。1950年から南仏のヴァンスに定住し、晩年にいたるまで旺盛な制作意欲を発揮しましたが、1985年に惜しまれつつ逝去しました。享年97歳でした。
マルク・シャガール《空を駆けるロバ》1910年
(C) ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo,2024, Chagall (R) C4616