collection コレクション展
内容
1923年9月、シャガールはベルリンからパリに戻ります。友人から画商、出版者のアンブロワーズ・ヴォラールが仕事を依頼したがっていると聞いたからでした。ヴォラールからの依頼を受けシャガールは、ニコライ・ゴーゴリによる長編小説、『死せる魂』を選んで挿絵を制作します。ロシアの地主、貴族、役人の腐敗をユーモラスに描いた19世紀の長編小説にシャガールは奔放な線を用いて生き生きとした挿絵を描きました。作品は1927年に完成していましたが、おそらくヴォラールの死などが原因で、出版されたのは1948年でした。シャガールにとって初の本格的な物語挿画本であるこの作品は一枚ものの銅版画96点にはグロテスクなまでに誇張された人物やロシアの風俗が伝わってくる町の生活が描かれています。風刺のきいた作品をご堪能ください。
マルク・シャガール プロフィール
1887年、シャガールはロシアの街、ヴィテブスク(現在のベラルーシ共和国)の貧しいユダヤ人の家庭に生まれました。1911年からパリに出て、ラ・リューシュ(ハチの巣)というアトリエで制作に励む一方、アポリネール、サンドラールら詩人たちとも交流しました。キュビスムやフォーヴィスムを中心とする最新の美術に影響を受けるものの、恋人や花束といったモティーフが浮遊する独自の表現を確立していきます。 1915年には、生涯シャガールが愛し、創造の源泉となった同じユダヤ人のベラと結婚します。翌年には娘イダが生まれ、画家としての名声も高まりますが、ナチによるユダヤ民族の迫害政策や、ロシア革命、二度の世界大戦などの苦難に見舞われ、ヨーロッパ各地を転々としたのちアメリカへ亡命、その地でベラを失くします。ベラの死後、しばらく筆を取れなくなっていましたが、イダをはじめとする周囲の支えにより制作を再開し、「色彩の魔術師」と呼ばれるような鮮やかな色彩表現を深めていきます。1950年から南仏のヴァンスに定住し、晩年にいたるまで旺盛な制作意欲を発揮しましたが、1985年に惜しまれつつ逝去しました。享年97歳でした。
2022年度シャガール・コレクション展テーマ
「シャガールの故郷―ヴィテブスクとパリ」
帝政ロシア、現在のベラルーシにある街ヴィテブスクに生まれたシャガールは、1911年にパリへ出ます。その後一度帰国しますが、1922年に再びパリへ出て以降、故郷へ戻ることはありませんでした。しかし、その姿は家族や家畜、小さな町の風景などの形で繰り返し作品のなかに描かれています。一方でセーヌ川やエッフェル塔、オペラ座などのパリを表すランドスケープもまたシャガールの作品に繰り返し登場します。帰ることのなかった故郷ヴィテブスクとシャガールが画家として大成した場所であり、戦後亡命先のアメリカから戻った国の首都パリ。ふたつの街のモティーフが描かれた版画集を紹介します。
マルク・シャガール《花嫁の花束》1934-46年
(C) ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo,2022, Chagall (R) C3851