exhibitions 展覧会

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幕末土佐のハイカラ画人 河田小龍

2003年11月02日[日] - 2003年12月23日[火]

午前9時~午後5時(入場は4時30分まで)
ただし展覧会初日は開展式のため午前10時から11月26日から一部展示替えを行う予定です。

休館日: 11月4日(火)、10日(月)、17日(月)、25日(火)、12月2日(火)、8日(月)、15日(月)、22日(月)
主催: 高知県立美術館・高知新聞社
後援: RKC高知放送・KUTVテレビ高知・KSSさんさんテレビ・NHK高知放送局・エフエム高知
協賛: 日本通運株式会社高知支店・カタオカ印刷
観覧料: 一般前売600円・一般700円(600円)・大学生500円(400円)・高校生以下無料・年間観覧券2,500円
※( )内は20名以上の団体料金 ※身障者手帳、療育手帳、障害者手帳、戦傷病者手帳及び被爆者健康手帳所持者とその介護者(1名)、高知県及び高知市長寿手帳所持者は無料

内容

河田小龍は、幕末から明治期にかけて幅広く活躍した、土佐を代表する絵師の一人です。

小龍は御水主・土生玉助の長男として高知城下に生まれ、祖父の河田家を継ぎました。通称篤太郎、小龍は号のひとつで、他にも小梁、松梁、維鶴、翠竹なども用いています。幼い頃から絵画を志し、12歳のときに島本蘭渓に入門、本格的に絵の修行を始めます。また15歳のときには、儒者、岡本寧浦に儒学を学びます。1846(弘化3)年、当時の土佐藩家老、吉田東洋に従い、京坂に赴いたときには書を篠崎小竹、南画を中林竹洞に習い、さらに狩野永岳にも師事し、京都二条城の襖絵修理にも携わったといわれています。その後も、長崎遊学時に木下逸雲に清朝画を学ぶなど、ありとあらゆる絵画様式、技法を会得しました。一方では写真や西洋画への関心も高く、先進的な絵師でもありました。明治維新後は高知藩吏として出仕しますが、その傍らで『吸江図志』、「高知市街地図」などを刊行し、また土佐の画人を網羅した『南海画識』などの著述も行いました。晩年は京都の琵琶湖疎水工事の記録図誌の制作や内国勧業博覧会への出品など、高知県外でも活躍し、75歳で亡くなるまで多大な仕事を成し遂げました。

小龍は1852(嘉永5)年、アメリカ漂流民のジョン万次郎(中浜万次郎)の取調べに立会い、『漂巽紀略』を著します。また、坂本龍馬と出会った際には、彼に航海通商策の開国論を教えたことがよく知られています。自身の画塾「墨雲洞」からは多くの画人が世に出ましたが、その後、海援隊隊士として幕末を駆け抜けた長岡謙吉、新宮馬之助、近藤長次郎らも小龍の弟子でした。

歴史画、肖像画、山水画、美人画、芝居絵などのあらゆる画題を、軸や屏風はもちろん、襖、絵馬、幟などに自由自在に描きながら、なおも単なる絵師にとどまらず、多方面にダイナミックに活躍した小龍は、盛期ルネサンスの巨人レオナルドに比すことができるでしょう。本展では、河田小龍の全貌を約150点の絵画作品や資料などで紹介いたします。

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