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秋の定期上映会 土本典昭フィルモグラフィ展2004 平成16年度第54回高知県芸術祭共催行事

2004年11月10日[水] - 2004年11月14日[日]

上映日:11月10日(水)11日(木)13日(土)14日(日)

会場:高知県立美術館ホール ※土本典昭監督の舞台挨拶あり

入場料:前売1日券 800円/当日1日券 1000円/4日間券2500円

*身体障害者手帳・療育手帳・障害者手帳・戦傷病者手帳・被爆者健康手帳所持者とその介護者(1名)は3割引です。割引料金前売560円/当日700円/4日間券1750円

*身体障害者割引前売券については、美術館ミュージアムショップ、県民文化ホールで取り扱います。

主催:高知県立美術館(高知県文化財団)

後援:NHK高知放送局・高知新聞社・RKC高知放送・KUTVテレビ高知・エフエム高知・KSSさんさんテレビ

協賛:アサヒビール株式会社(当ホール事業はアサヒビール株式会社より年間助成を受けています)

協力:土本典昭フィルモグラフィ展2004実行委員会、映画同人シネ・アソシエ、シグロ、岩波映像、自由工房、モンタージュ

「パルチザン前史」(69年)「水俣-患者さんとその世界」(71年)「不知火海」(75年)「海盗り-下北半島・浜関根」(84年)など日本のドキュメンタリー映画史上に燦然と輝く、土本典昭監督の回顧上映会です。
 土本監督は1928年生まれ。1956年に岩波映画製作所に契約者として入り、国鉄PR映画として企画された「ある機関助士」(63年)で監督デビュー。その後「ドキュメント路上」(64年)「留学生チュアスイリン」(65年)などを経て、70年代より水俣映画の連作を製作し続けました。その後も89年に公開されたアフガニスタンとの合作映画「よみがえれカレーズ」(89年)や最新作「みなまた日記-甦える魂を訪ねて」(04年)まで戦後の日本及び世界の人々をみつめ続けました。今回、4日間で16作品を上映いたします。土本監督が記録した映像世界をこの機会にぜひご覧下さい。

11月14日(日)13:30分より美術館ホールにて土本典昭監督の講演開催。

11/10(水)
「ある機関助士」
(63年/37分/35ミリ/カラー/岩波映画製作所)
 1962年、三河島で起きた大事故の印象を一掃するため、国鉄当局が鉄道の安全性をPRする映画を企画。事故のあった常磐線で、労働強化を強いられた労働者の実像を取材、ある機関助士の一日を追った。第18回芸術祭文部大臣賞、ベルリン映画祭青年文化賞受賞など。

「ドキュメント路上」
(64年/54分/35ミリ/白黒/東洋シネマ)
 高度経済成長の只中、都市整備の工事が進み道路事情の悪化した東京で、タクシー運転手の労働実態に目を向け、その日常を追った。完成後、交通安全映画として活用されることになっていたが、未公開のままになっていた。芸術祭奨励賞、ヴェネチア映画祭特別審査委員会賞受賞など。

「水俣の子は生きている」
(65年/25分/16ミリ/白黒/日本テレビ)
 水俣病発生から10年、町から水俣病は忘れられようとしていた。しかしその陰には、僅かな見舞金と生活保護だけで貧窮する患者の家族や、入院すらできない重症の子供たちがいた。水俣病のケースワーカーとして実習に来た女子短大生の一週間の記録。

「留学生チュア スイ リン」
(65年/51分/16ミリ/白黒/藤プロダクション)
 英領マラヤ(現マレーシア連邦)の国費留学生として来日したチュア・スイ・リイン。母国の未来を憂い、抗議行動を起こしたことで国費留学生の身分を取り消されてしまう。除籍処分を下した大学に対し、復学を求める留学生チュアを支援する学生たちの姿を追う。ライプチッヒ映画祭招待。

11/11日(木)
「海とお月さまたち」
(80年/50分/35ミリ/カラー/日本記録映画研究所)
 潮の満ち引きを支配している月。漁師さん達は潮の流れで変化する魚達の行動に合わせ、漁のための仕掛けを変えていく。漁師さんと魚の知恵比べを通して、命の源である海を表現する。新しい命を育む海を大きな満月が見守っている。日本紹介映画コンクール銀賞受賞など。

「水俣の図・物語」
(81年/111分/35ミリ/カラー/青林舎)
 幅15メートルの巨大な絵画、水俣の図。「原爆の図」で知られる丸木位里・丸木俊夫妻によって描かれた絵画は、水俣病の苦悩が塗り込められているかのような迫力を生み出している。そこには絵画と詩と音楽で綴られたもうひとつの水俣がある。第23回毎日芸術賞受賞など。

11/13(土)
「よみがえれカレーズ」
(89年/116分/16ミリ/カラー/土本典昭+熊谷博子+アブドゥル・ラティーフ共同監督/記録社・シグロ)
 88年5月15日のソ連軍のアフガニスタン撤退開始から同年12月まで、延べ5ヶ月にわたりアフガニスタンで撮影された。ソ連軍兵士、元反政府ゲリラのリーダー、そして戦火の中を生き抜いてきた人々の生活などを幅広く取材。アウクスブルクドキュメンタリー映画祭(ドイツ)招待など。

「在りし日のカーブル博物館1988年」
(03年/32分/16ミリ・ビデオ/カラー/映画同人シネ・アソシエ)
 88年「よみがえれカレーズ」製作当時に撮影された、アフガニスタンのカーブル博物館収蔵文化財の記録。92年以後、収蔵品は略奪され、建物自体も爆撃を受けるなど、02年には文化財の7割が失われ、唯一このフィルムに収蔵品の記録が残された。

「パルチザン前史」
(69年/120分/16ミリ/白黒/小川プロダクション)
 京都大学助手であり、同時に難波予備校教師でもあった活動家、滝田修の革命運動を追ったドキュメンタリー。機動隊との闘争やパルチザン軍事訓練の映像に対して皮肉なほど平穏な京都市民の姿など、滝田修の姿を通して60年代学生運動を映し出す。ぺサロ映画祭特別招待。

「不知火海」
(75年/153分/16ミリ/カラー/青林舎)
 有機水銀に犯されながら、その海辺に漁民を抱え続ける不知火海。魚を捕り、食べ、静かに暮らす人々は、水俣病の苦しみを抱えながら豊饒の海に生きている。日々の生活も貧窮し、悪化する申請患者達の姿を通じて、終わらない水俣の苦悩を描く。

「海盗り-下北半島・浜関根-」
(84年/103分/16ミリ/カラー/青林舎)
 81年下北半島、津軽海峡に面した小さな漁村、関根浜。原子力船「むつ」の母港化のため、補償金をつり上げ、海を盗ろうとする国や県の意図と手口を克明に記録。また漁村に生きる人々の生活や、漁業権をめぐる攻防を漁民の側から描いた。ベルリン映画祭招待作品。

「はじけ鳳仙花-わが筑豊、わが朝鮮-」
(84年/48分/16ミリ/カラー/幻燈社)
 朝鮮半島から連行され、筑豊で労働を強いられた朝鮮人。画家・富山妙子は、日本人としてその加害性をテーマにしたリトグラフを描いてきた。富山妙子の詩・画による劇中劇、生き残りの朝鮮人坑夫の手記など多層な表現を用い、ジャンルを超えた作品となった。

11/14(日)
「水俣-患者さんとその世界-」
(71年/167分/35ミリ/白黒/東プロダクション)
 水俣病を世界に知らしめることになった記録映画の記念碑的作品。チッソを相手に裁判を起こした29世帯を中心に、残された遺族の記憶から真実を探り、潜在患者の発掘までを描いている。第1回世界環境映画祭グランリ他、多数受賞。

13:30~土本監督講演

「もうひとつのアフガニスタン カーブル日記1985年」
(03年/42分/16ミリ・ビデオ/カラー/映画同人シネ・アソシエ)
 85年、内戦下のアフガニスタン。78年の4月革命から内戦に至る経緯と、農地改革や女性解放、識字運動が進む中での、ありのままの民衆の生活を綴った。ソ連駐留時代、カーブルを撮影したのは唯一このフィルムのみ。アフガニスタンにとっても貴重な記録となった。

「回想・川本輝夫 ミナマタ-井戸を掘ったひと」
(99年/42分/ビデオ/カラー/土本仕事部屋)
 川本輝夫は、埋もれた患者を訪ね歩き、申請を勧め、またチッソと直接交渉の末、年金・医療費を含む協定書を締結するなど長く水俣病闘争のリーダーを務めた。その後市議会議員となって活動を続けるが、99年2月に急逝。彼の映像を編集して、追悼集会で上映された「私家版」ビデオ。

「みなまた日記-甦える魂を訪ねて」
(04年/100分/ビデオ/カラー/映画同人シネ・アソシエ)
 96年「水俣・東京展」に掲げる水俣病の死者の遺影を集める仕事の合間に、四季の美しさ、人々の祭り、喜び、祈りの姿などに心惹かれるままにカメラを向け、海・魚・人々の甦りの声に耳を澄まし、当時の水俣の印象と自らの心象を旅日記風に記録した作品。


土本典昭 

1928年生まれ。1956年に岩波映画製作所に契約者として映画の仕事に入る。57年退社し、以後フリーとして同社で記録映画の製作をする。また羽仁進監督作品の監督補佐や編集などにつく。61年頃岩波映画で仕事をしていた映画人を中心に「青の会」を作り合評会、研究会をすすめる。
 岩波映画ではテレビ用の作品を数本作ったが、本格的デビューは63年の「ある機関助士」。その後「ドキュメント路上」(64年)「留学生チュアスイリン」(65年)「シベリア人の世界」(68年)「パルチザン前史」(69年)を経て、70年代より水俣映画の連作を製作し「水俣-患者さんとその世界-」(71年)「水俣レポート1実録公調委」(73年)「水俣一揆-一生を問う人々-」(73年)「医学としての水俣病-三部作-」(74年/75年)など30年余りの間に17作を作る。80年代以降、アフガニスタンとの合作映画「よみがえれカレーズ」(89年)や最新作「みなまた日記-甦える魂を訪ねて」(04年)まで数多くの作品を監督する。

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