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秋の定期上演会 気骨のカメラマン
三木 茂特集 「劇映画だけが映画じゃない!」&土佐の潮流シリーズ

2001年11月17日[土] - 2001年11月18日[日]

上映日:2001年11月17日(土)、18日(日)

会場:高知県立美術館ホール

入場料:前売1日800円/当日1日1,000円

※身体障害者等割引料金 前売560円/当日700円(身体障害者手帳、 療育手帳、障害者手帳所持者とその介護者1名)

主催:高知県立美術館

後援:高知新聞社・RKC高知放送・KUTVテレビ高知・NHK高知放送局・エフエム高知・KSSさんさんテレビ

フィルム提供:東京国立近代美術館フィルムセンター・平和博物館を創る会・(株)日本映画新社・(株)教配・(株)近代映画協会・(有)ワカ・プロモーションズ

フィルム協力:朝日新聞社・高知県教育委員会

作品解説

11月17日(土)
①11時
「黒い太陽」 
36年・白黒・19分・16ミリ 三木茂監督・撮影 製作:朝日新聞社
世界最初というべき日蝕観測記録映画。36年6月に北海道で観られた皆既日食を当時としては最高の感光スピードを持つ最新のフィルムを使い、千二百ミリの望遠レンズを使用するなど、数々の技術的な問題を克服して撮影された作品。三木が科学ドキュメンタリー映画の世界で新境地を拓いた作品であり、この年の日本映画技術賞、文部大臣賞を受賞し、また国家保存フィルムに指定された。

「雅楽」 
39年・白黒・11分・35ミリ 三木茂撮影・監督 製作:東宝映画文化映画部  
宮廷舞楽として1200年の歴史をもつ「雅楽」を国際文化振興会の企画により製作された作品。

「土に生きる」(断片版)  
41年・白黒・15分(オリジナル54分) 三木茂撮影・脚本・監督 製作:日本映画社
40年夏から41年夏まで、秋田県男鹿半島の厳しい自然の中で米作に励む農民の一年にわたる精細な苦労を民俗学見地から描いた作品で、三木の米作りに対する深い研究がにじみ出た、ドキュメンタリー映画の新境地を開いた力作。オリジナルフィルムは現存せず断片版しか残っていないのが悔やまれる。

②13時
「マレー戦記 昭南島の誕生」 
42年・白黒・15分・16ミリ 三木茂撮影 製作:南方派遣軍報道部・社団法人日本映画社
太平洋戦争勃発と同時に陸軍に徴用され、シンガポール作戦に従軍した三木茂は南方派遣軍報道部の一員として「マレー戦記」の第2部を撮影する。第1部は「進撃の記録」。

「支那事変後方記録 上海」 
38年・白黒・77分・16ミリ 三木茂撮影 亀井文夫編集 製作:東宝映画文化映画部
昭和12年冬の事変後、日支両軍の激戦地をかけめぐって撮影された上海の記録映画で、戦場の現実を冷静なカメラの目でみつめ、多くの観客に戦争の哀しさを詩情豊かに訴えた作品。またニュース映画として、現地同時録音となる日本のドキュメンタリー映画の母胎を作った画期的な作品であり、劇映画で鍛えられた、三木ならではの大胆な移動撮影やパノラマなどのキャメラワークがいたるところで駆使され、戦争の真実に触れた観客は大きなショックを受けた。

③14時45分
ゲストトーク  「今、三木茂について語ろう」  
牧野守氏(映画史研究家)
三木映画社で映画製作にもかかわり、三木茂の素顔をよくご存じの牧野氏に人物像を語っていただきます。

④16時
「戦ふ兵隊」 
39年・白黒・66分・16ミリ 亀井文夫監督 三木茂撮影 製作:東宝映画文化映画部
日中戦争時、国民の戦意高揚のために陸軍報道部で企画され、東宝映画文化映画部が製作を担当。昭和13年に監督・亀井文夫、カメラ・三木茂、カメラ助手・瀬川順一、録音・藤井慎一の4名で、4ヶ月間に渡って中国で撮影し完成されたものの、公開直前に上映禁止にされた作品。あえて反戦映画を作ろうとしたわけではなく、行軍する兵士たちの表情や、戦場の風景をありのままにスケッチしたのが、逆に戦争の無意味さを描き出した。その後、75年に発見されるまで「幻の反戦映画」と言われ、またドキュメンタリー映画史上の傑作の一本。戦争とは「何か」を考える人には必見の作品。

⑤17時15分
「広島・長崎における原爆の影響(日本語版)」ビデオ上映 
45年・白黒・166分 三木茂撮影 他 記録:原子爆弾災害調査研究特別委員会 日本語版製作:平和博物館を創る会
原子爆弾投下後の9月に広島と長崎に日本の学術調査団が入り、その時に原爆記録映画として撮影された当時の惨状を伝える貴重な作品。その後、GHQ(連合国占領軍総司令部)に没収され、1967年アメリカ政府が縮小プリントのみを文部省に返還し、カット版がテレビ放映されたという経緯を持つ作品。今回はノーカットの日本語版をビデオ上映。日本人の手によって原子爆弾の影響を記録した真実の映像であり、また核兵器の恐ろしさを伝えてくれる。

11月18日(日)
①11時
「ある映画監督の生涯」 
75年・カラー・150分・35ミリ 新藤兼人監督 三木茂出演他 製作:近代映画社
日本映画界の巨匠、溝口健二監督に大きな影響を受けた新藤兼人監督が、溝口監督の生涯を、スタッフ、俳優などの証言によって描き出した作品。溝口作品の関係者による証言は溝口監督への愛情と共に日本映画史の貴重な記録となっている。三木茂は「瀧の白糸」の撮影者としてインタビューを受け、貴重な映像を残している。

②14時30分
わかこうじ活弁上映会
戦前・戦後を通して現役で活躍するただ一人の活動弁士・わかこうじ氏がサイレント映画の傑作「瀧の白糸」溝口健二監督の活弁上映会を行います。サイレント映画に命を吹き込む活弁の魅力をご堪能下さい。

「瀧の白糸」 
33年・白黒・102分・16ミリ 溝口健二監督 三木茂撮影 製作:入江プロ
サイレント時代の傑作の1本。泉鏡花の原作を元に、水芸人白糸(入江たか子)と苦学生(岡田時彦)の結ばれぬ恋を描いた作品。溝口作品特有の男性の為に犠牲になる女というテーマを、当時としては大胆なカメラ移動や、フラッシュバックなどを使って描き出した作品。数少ない三木茂撮影の劇映画。戦前、戦後を通じて活躍する活弁士、わかこうじ氏の活弁で上映。

③16時45分
「新しい教室」 
48年・白黒・20分(ビデオ上映)三木茂製作・撮影 藤本修一郎監督・脚本  製作:日本映画新社/三木映画社
子ども同士の話し合いで学習内容を決め、ひとりひとりの個性を尊重する、ある小学校のクラスの様子を描いた、文部省の協力で製作されたセミ・ドキュメンタリー。

「叱るもの叱られるもの」 
58年・白黒・19分(ビデオ上映)三木茂製作・撮影 丸山章治監督・脚本 製作:日本映画新社/三木映画社
日常の職場の中で、上役が部下を叱る場合、叱り方ひとつでマイナスになったりプラスになったりするという、叱り方のコツを示唆した社会教育映画の1本。

「問屋のしごと」 
55年・白黒・11分・16ミリ 三木茂監督・製作・脚本・撮影 製作:三木映画社
戦後すぐに、三木茂は三木映画社を設立し、自主映画、企業PR映画など、劇映画、ドキュメンタリー映画などとは、また違った映画作りを始める。問屋の仕事とはどういったものかを、わかりやすく描いた三木映画社作品。

「漁村のくらし」 
55年・白黒・16分・16ミリ 三木茂監督・製作・脚本・撮影 製作:三木映画社
世界屈指の漁業国といわれるわが国の、漁業にたずさわる漁民の暮らしについて、海と深いつながりもって働く人々の姿を描いた三木映画社・社会科映画シリーズの一本。

「誰かがやるだろう」(タイトル部欠落) 
57年・白黒・20分・16ミリ 三木茂製作・撮影 丸山章治監督・脚本 製作:三木映画社
社会生活の小さな輪の中で一人の人間の行いはどんな役割をはたしているか。もしあなたがそこにいなかったら、という形で個人のささやかな行動と社会の結びつきを考えさせる三木映画社作品。高知県視聴覚ライブラリーに収蔵され、各関係者の御厚意により上映可能となった作品。

「女のくらし」 
58年・白黒・約30分・16ミリ 三木茂製作・撮影 道林一郎監督 野田真吉脚本  製作:三木映画社
題材は信濃毎日新聞「ひととき」欄に掲載された投書からヒントを得て作成され、因習に閉じこめられた農村婦人の悲しい話を、三つのオムニバスにまとめた三木映画社作品。高知県視聴覚ライブラリーに寄贈されていたフィルムの中から発見された大変貴重な作品

「柳田国男と遠野物語」 
76年・カラー・25分・16ミリ 三木茂監督・製作・脚本・撮影 製作:三木映画社
日本民俗学の父といわれた「柳田国男生誕百年記念会」などの協力で製作された三木茂の遺作。戦前、柳田国男と出会い、共著で「雪国の民俗」を出版し民俗学への関心を深めていた三木の念願の企画であり、三木映画社最後の秀作。 

三木茂(1905~1978)

明治38年に高知市に生まれました。
小学校卒業後、東京工手学校入学。その後、国活巣鴨に入社し、わが国映画撮影技術史にのこる枝正義郎氏に師事してカメラマンとしてのスタートをきり、松竹下加茂、帝キネ、新興、JO、東宝などの撮影所で「瀧の白糸」(33年 溝口健二監督)「忠治売出す」(35年伊丹万作監督)など日本映画史に残る作品を含め、サイレント時代からトーキー時代まで数々の劇映画の撮影を担当しました。
また世界最初ともいうべき日蝕観測記録映画「黒い太陽」(36年)や、世界ドキュメンタリー映画史上の傑作「支那事変後方記録 上海」(37年)、「戦ふ兵隊」(38年)などの撮影を行い、ドキュメンタリーの分野でも輝かしい業績を残しました。
戦時中は映画統制令によりニュース、文化映画等を製作する社団法人・日本映画社に迎えられ、戦後は、広島、長崎の原爆調査団に参加し、「広島・長崎における原爆の影響」(45年)を撮影。
また個人経営による「三木映画社」を設立。以後PR映画、自主映画など、独自の映画製作を開始。「株の民主化」(47年)、「黙っていてはいけない」(60年)、「暖かき国ときくからに」(62年)、「コトバと態度」(65年)、「働く人々のオーケストラ」(67年)、そして遺作となる「柳田国男と遠野物語」(76年)まで自分の信念を貫き通した映画を一貫して製作し続けました。
戦前、戦中、戦後を通じ、劇映画、ドキュメンタリー、自主・PR映画などの映画製作により、他の誰もが成し遂げ得なかった映画人生をまっとうした気骨のカメラマン三木茂の代表作を上映し、その業績を振り返ります。
17日(土)には、三木映画社で映画製作にもかかわった映画史研究家・牧野守さんのお話、また18日(日)は戦前・戦後を通して現役で活躍するただ一人の活動弁士、わかこうじさんによる「瀧の白糸」の活弁上映も合わせて行います。

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